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ヒッタイトについて2

ヒッタイトの都であるハットゥシャシュはボガズキョイその物ではなく、正確にはボガズキョイの東と東南に広がる地域のことだ。 東側では王宮と大神殿の跡が発見されており、東南には市街地があったようだ。 ハットゥシャシュの街は直径がおよそ1kmの二重の城壁で周囲を守られている。大きな石を積んで作られた城壁は1mから6mの高さがあり、8mもの厚さを持っていた。東西南北のそれぞれに門が設けられており、現在でも保存状態が良好なのは西の獅子門と東の王門だ。特に、王門に彫られた軍神はよい状態で残っており、角付の兜からたれている長髪なども見ることが出来る。 王宮は町より高い場所にあり、さらに別の壁で囲われていた。市街地であるハットゥシャシュに対してビュユックカレと呼び区別もされていた。王宮には文書館がありそこから多数の粘土板が発見されている。

ヒッタイトの宗教

ヒッタイトは多神教であり、土着のハッティの神々を取り入れるなど割と寛容だったようだ。 神々の中ではアンリナという太陽の女神と、牡牛か牡牛に乗る神として描かれる天候神の位が高かったらしい。王門の軍神像の兜にある角もその牛を表していると考えられる。 牛はクレタ島でも崇められていたし、チャタルヒュユクという世界最古の集落でも神とされていた。

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