HOME遺跡から見る古代文明 > 消えた文明2

消えた文明2

ユカタン半島の付け根にある熱帯雨林の辺りで繁栄した文明がマヤ文明だ。250年から900年の間に最も繁栄し、この時期のことを古典期と呼ぶ。都市国家のように、大きな神殿ピラミッドが並んで建てられている大センターに周りの農村が従う形の王国が各地で生まれたのだ。 マヤ文明が特に素晴らしいのは文字と暦の体系を作り上げたことにある。多くの暦が二十進法から生み出され、中には西暦の紀元前3114年8月13日を紀元として日にちを数える物や、365日を一カ月20日の18カ月と5日に分けた物、260日の周期を持つ20の文字と13の数字から作られた物などがある。 マヤの王たちはそういった暦と文字を使って、戦争や祭儀、即位の記録や王朝の記録などをパネルや石碑などに記していった。しかし、この慣習が909年に途絶えると、古典期マヤ文明は消えていった。

マヤ文明の滅亡

古典期のマヤ文明が崩壊した理由については諸説ある。 人口が増えすぎて耕作地を広げるために森林を切り開き地力が衰えたという考えや、地震や干ばつといった自然災害や熱帯という環境を原因とする物、また、貴族階級に対する農民の反乱や異民族の攻撃が理由だとするものなどだ。 異民族の侵入やはっきりした階級の差が生まれたことなどは遺跡などに証拠が遺されている。

トップへ戻る