HOME日本の古代文明を辿る > 邪馬台国とは2

邪馬台国とは2

邪馬台国があった時代の気候については対立する説がありはっきりしていない。 ポスト・ローマン海進という海進期に当たるこの時代は温暖な気候であると考えられていたが、復元した当時の自然環境は寒冷化していたということを示していたのだ。 大阪府の河内平野に埋まっている多くの弥生時代の遺跡。これらは2世紀後半ごろから多くが放棄され洪水の層で埋められていた。この平野は弥生時代の中期には何度も洪水に襲われる環境の悪い時代だったことがわかる。湖底などにあった花粉の分析からも寒冷期が確認されている。 また、中国の古記録などからも2世紀後半の寒冷期の存在が確認でき、当時の中国が洪水や干ばつに見舞われそれに伴って反乱が増加していたことがわかる。そうした混乱が波及して倭国大乱が起こり邪馬台国が出来上がったとすると、邪馬台国の時代は寒冷期だったと考える説の方が有力に思われる。

邪馬台国の暮らし

魏志倭人伝からは邪馬台国に大人と下戸という身分があったことが書かれている。下戸は大人に会うと道の脇によるなどの身分差による決まりは遵守され、きちんとした秩序があった。 弥生時代であった当時は既に織物があり、男性は横幅衣、女性は貫頭衣を着用し、一般的には竪穴式住居に暮らしていた。 魏志倭人伝によると、城柵や楼観、宮室が邪馬台国には有ったとされている。

トップへ戻る