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邪馬台国とは1

倭国大乱とされる戦乱が発生したのが2世紀の後半。その戦乱の後、女王卑弥呼と邪馬台国が歴史上に姿を現す。だが、邪馬台国は100年もたたない3世紀の後半には歴史上から消えてしまう。 邪馬台国は女王卑弥呼が統治し中国とも交流していた大きな国だったらしいが、いまだにその実態はよくわからない。 邪馬台国があった時代の記録は日本には存在せず、資料と言えば中国の魏志倭人伝ぐらいのものである。これには、1987文字を使って女王卑弥呼のことや邪馬台国の政治や生活の様子などが書かれている。 中国から倭国と呼ばれた当時の日本と中国とは、朝鮮半島を通しての交流があった。57年に倭の奴国の使者が、107年に倭国王が洛陽にやってきたという記録が後漢書東夷伝にある。また、魏に使者を送った卑弥呼に対して魏の王が親魏倭王の金印と100枚の銅鏡を与えたことが倭人伝に書かれている。

邪馬台国以前のクニ

縄文時代の晩期、稲作が始まった日本では農耕により生活が安定し人口が増加、集落も大きくなりクニが生まれていった。 前漢の時代のことが書かれた漢書地理志によると百余国に倭人社会が分けられていたとされている。 濠が作られた吉野ヶ里遺跡などからわかるように、クニ同士は土地などを巡って争っていた。弥生時代には戦い専用の武器があったことがわかっている。

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