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シルクロードの楼蘭

シルクロードには草原を行く道や海の道が含まれることもあるが、狭い意味だと楼蘭を通過するオアシスの道を意味する。 時代ごとに道筋は変化していくものの4世紀ごろは東から西へ向かう道は酒泉と嘉峪関を通り敦煌に到達すると、ハミへ行くものと玉門関を通る道、陽関を抜ける道の三つに分かれていた。 ハミへのルートは西域北道と言われ、トルファンを通り天山山脈の南側を抜けていくことになる。 陽関への道は西域南道というミーランから西側への道につながっている。 そして、玉門関への道は陽関から分岐したルートと合流するとロプノールを通って楼蘭と繋がっている。この楼蘭から西へ向かうとタクラマカン砂漠にぶつかるため、これを避けるために道が南北に分岐し、それぞれが西域南道と西域北道へつながっている。つまり、楼蘭を中心にしたYの字を横に倒したような道が作られていたのだ。

楼蘭について

楼蘭は紀元前176年に初めて中国の記録に登場。匈奴という北の遊牧民族が楼蘭を服属したという手紙を漢の文帝に送っている。この事実からは西方の要衝としての役割を楼蘭が持っていたことがわかる。 2世紀から4世紀にかけて最も繁栄したがその後の歴史は不明。衰退した理由としては外敵による攻撃や、自然条件の変化で遺棄されたということなどが予想される。

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